2016/04/02-06 徳島、遍路ころがし

2016年4月、退職から再雇用の間の休日を利用して、四国遍路に出かけることにした。今回は徳島と高知の一部の霊場を回った。

  shikokuzentai


事前準備:
・オデッセイで車中泊できるように少し改造
・敷きマットは子供たちの保育園の時に使った昼寝布団を活用
・寺周りや街中の移動では自転車を利用するために、折りたたみ自転車購入
yeah(ヤー) スティンガー 20インチ 6段変速  YH-STA061
折りたたんだときの幅は28cm、重さも12.5kgと軽量。
自転車を載せても寝るスペースは十分確保できた。

4月2日(土)20:20富士見出発


第1日目 4月3日(日)くもりのち雨
4月3日(日)01:20淡路SA着 富士見から443km、5時間走り、SAにて仮眠。
明日は雨の予報のため当初計画を見直し、霊場1番から10番を回ることにした。
淡路SAを06:45に出発して第一番霊場 霊山寺(りょうざんじ)に向かい、白衣や納経帳、輪袈裟などのお遍路グッズを購入した。グッズは全部で15000円と意外とかかる。
境内は桜がきれい。いよいよ花遍路のスタートである。お経はお灯明、焼香、納札、お賽銭の後、般若心経と「南無大師遍照金剛」を3回唱えることにした。境内には歩き遍路の人、自動車の旅の人、団体のお遍路さんなど様々な人がいた。

霊山寺に車を止め、3番目霊場 金泉寺(こんせんじ)までは歩くことにした。お遍路道には赤字で記された道しるべや歴史を感じさせる石柱の標識がある。のどかな遍路道を歩くと心が落ち着くのでこのまま歩きたかったが、今日は10番札所、切幡寺(きりはたじ)まで行かなければならないので、金泉寺の手前のJR高徳線の阿波川端駅から電車で霊山寺に戻り、車を金泉寺近くの神社まで移動させ、そこから自転車で遍路を続けた。

お寺には山門、鐘楼、本堂、大師堂があるが、その形はそれぞれの寺によって趣が異なり、第6番札所安楽寺(あんらくじ)等では日本の寺のイ メージと異なる中国風の山門もあった。午後になって雨が降り始めたのでレインウェアを着てお寺を回った。第7番札所十楽寺(じゅうらくじ)あたりから雨が強くなってきたので、寺の隣のうどん屋で昼食をしながら雨宿りをした。どのお寺も桜が満開で、特に熊谷寺の桜は見事だった。
本日の最終ゴール第10番札所 切幡寺(きりはたじ)は山の中腹にある。高度差150mの坂道を自転車で登りきり、さらに200段以上の階段を登ると、お寺の境内からは桜越しに吉野川の平野を眺めることができた。

切幡寺から金泉寺まで今来た道を戻った。自転車とはいえ、向かい風の中の20kmの走行はしんどかった。自転車を車に積んでいると風雨が強くなり雨に濡れたので、近くの日帰り入浴の施設「やすらぎの郷」で風呂に入り、ファミレスで夕食をすませて、トイレの設備が整っている高松自動車道の鳴門西パーキングエリアにて車中泊した。


第2日目 4月4日(月) 雨

天気予報どおり雨だったので、今日は徳島城や阿波踊り記念館を見た後、午後から真野さん宅を訪問する計画にして徳島市に向かった。
徳島城の本丸も桜が満開だった。城の石垣は長野県で見られる緑色の石・・・三波川変成帯の緑色片岩でできていた。徳島市は伊那谷から続く中央構造線沿いにあり、城山の斜面には至るところに三波川帯の露頭が見られた。
雨の中、城から1kmほど先にある阿波踊り会館に歩いて行った。会館では踊りの実演が見られるが公演は午後のみのため展示品を見学した。阿波踊りのビデオや貴重なレコードがあったが、その中で芸者の故お鯉さん(92歳?)が三味線で歌う「ハアラ エライヤッチャ エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」の歌は上品で印象的だった。
会館は「眉山ロープウェイ」の山麓駅にもなっていて、映画「眉山」はこの阿波踊りが主題になっている。

城の駐車場に戻り、真野さん宅に電話をし松茂町市役所でおちあうことにした。真野さんも私と同様今年3月31日で定年退職となり、今は嘱託として会社勤めを続けている。勤務時間はフリーなので仕事の合間をぬって会社を抜けてきてくれた。昼飯時だったので二人で徳島名物たらいうどんをいただいた。店の人の説明のとおり、うどんを出汁に13秒つけて味付けをして食べるとおいしかった。
食事の後、真野さん宅を訪問した。奥さんは芸術家で絵を描かれており、キャンバスが家の中にところ狭しと置かれていた。その中に昨年真野さんに送ったりんごの絵があり、安曇野農協の箱を背景に入れた水彩画がきれいだった。徳島の人にとっては、真っ赤なりんごはとても印象的とのこと。奥さんは自然食にこだわっており、小豆島の高価なオリーブオイルを分けていただいた。真野夫妻と夕方から食事を一緒にする約束をし、鳴門のうずしお見学に出かけた。
午後になって雨があがったが、気温が高く鳴門海峡は霧に覆われていた。そのためうずしお観測船は出航を見合わせているとのことだったので、先に大鳴門橋のほうを見学した。うずしおはいつも同じところにできると思っていたが、引き潮と満ち潮で渦の発生場所が異なることの説明を受けた。橋を見学しているうちにうずしお観測船が出航可能になったので、急いで船着場に向かった。うずしお丸という高速船で大鳴門橋の下をくぐり抜けうずしおを観望した。船の近くに大きな渦ができ、なかなか見ごたえがあった。

夕方から真野さん宅の近くの料理屋で魚料理をいただいた。奥さんは鳴門出身の方で、鳴門の食材を使っている店を選んだとのことだった。 レンコンにつみれを入れたてんぷらは、レンコンのサクサク感とつみれの柔らかさがマッチしておいしいかった。徳島はレンコンの生産が有名であり、当地のレンコンつくりは農薬を使わないため、レンコン畑にはドジョウ等が生息している。そのため最近コオウノトリが繁殖を始めたとのことだった。そうした物語を聞くと、徳島のレンコンが特別なものになってさらに味わい深くなる。

20時ころ真野さん夫妻と別れ、真野さんのふるさとの鴨島にある尾池旅館に向かった。ホテルは素泊まりで4500円。ツインベットの片方を荷物置き場に利用できて都合がよかったが、浴室のカランのネジが外れて水が噴出したのには閉口した。何とか簡易的に修理をしシャワーを浴び床についた。明日はいよいよ第一の難所、遍路ころがしを歩くことになる。


第3日目 4月5日(火)くもり 遍路ころがし1日目
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鴨島から第11番札所藤井寺(ふじいでら)に行って納経をすませ、7:45にお寺の左手の山道をのぼって焼山寺に向かった。山道には昨日徳島城で見た三波川変成帯の緑色片岩が露出しており、岩の表面は濡れると滑りやすいので慎重に登っていった。山道のところどころには休憩所が用意されているが、藤井寺から6.6kmの柳水庵までは休まずに一気に歩いた。オランダ、フランスなどの外国人のお遍路さんも多かった。オーストラリアの方になぜ遍路をしているのか聞いたところ、人生を変えるためとのことだった。遍路ころがしの最高点(標高 745m)の浄蓮庵の一本杉を通り過ぎ、300m下って再び焼山寺への遍路道を登る。焼山寺の参道に近づくと今来た遍路ころがしの 道を振り返ることができた。

第12番札所焼山寺(しょうさんじ)には12:45に到着した。焼山寺で昼食をとり、ここから500m下った鍋岩地区へ向かった。お遍路さんの多くはこの鍋岩の旅館で泊まるが、こちらは明日の行動に余裕を持たせるために鍋岩から玉ヶ峠(450m)を越え、さらに10km先の植村旅館に向かった。道中の急斜面には民家が点在していたが空き家も多かった。
植村旅館には15:45に到着した。この3日間はコンビニ弁当が多かったので、久しぶりの手料理の夕食はおいしかった。植村旅館は明治のころからやっている古い旅館で、この日の泊り客は私を入れて3人で、一人の方は埼玉の僧侶の方で今回で遍路は5回目とのこと。またもう一人の方は 千葉の方で、墓石の商売をしていたが遍路をするために退職をして回っているとのことだった。旅館の女将さんの話では、最近は海外の宿泊客も多く言葉は通じないが、こんなところに泊まっても喜んでくれているとのことだった。信州には何回か来たことがあり、松川でりんご狩りも楽しんだようだ。また飯田の方と知り合いで、以前神戸に住んでいたが実家の飯田に戻って家を建てて住んでいるとのことだった。世間は狭い。


第4日目 4月6日(水)晴れ 遍路ころがし2日目

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植村旅館を7:00に出て、鮎喰川(あくいがわ)沿いに徳島市まで下る。歩行距離は約22km。
新しく買ったColumbiaのトレッキングシューズは遍路ころがしの山道には最適だったが、舗装道路の歩行では足の人差し指が痛くなり、歩行ペースを落とさざるを得なかったかった。
第13番札所大日寺(だいにちじ)には9:10に到着した。心地よい日差しの中、常楽寺、国分寺、観音寺を回り、お昼までに第17番井戸寺での納経を終えることができた。

井戸寺からは、最寄駅のJR徳島線府中駅で電車に乗り、鴨島の尾池旅館にもどった。
真野さんから鴨島周辺の見所を聞いていたので、真野さんの実家や全国名水百選の江川湧水、吉野川にかかる潜水橋等を自転車で見て回った。吉野川の堤防にはかつてお遍路さんが渡し舟で川を渡った光明庵跡もあった。
その後、明日の食料の買い物をすませて旅館に戻り洗濯をし、4日目の行動を終えた。

続く・・・2016/04/07-09 徳島から高知へ