第5日目 4月7日(木)雨
天気予報では荒れ模様になるとのことだったので計画を変更することにした。当初は立江駅に車を止め、立江寺から日和佐までの歩き遍路を予定していたが、車移動と決めたので少々気の緩みも出て鴨島の宿でゆっくりしすぎ、第18番札所恩山寺(おんざんじ)に着いたのは10:00近かった。第 19番札所立江寺(たつえでら)に行く道中で歩き遍路の外国人を何人か追い越した。彼らは雨の中、ザックをかついてひたすら歩いていた。立江寺で納経をすませ、当初のパーキング予定だった立江駅付近を歩いて回ったところ、植村旅館で一緒だった埼玉の僧侶の方にお会いした。昨日は徳島市まで歩き、今回はこの立江寺で打ち止めにするとのことだった。
車で移動する遍路はまったく趣がない。また歩き遍路の方を追い越すたびになんとなくむなしくなる。そこでもう少し”充実した”ルートは組めないものかと地図を広げて遍路道を確認したところ、次の鶴林寺と大龍寺は標高500mの山頂にあり、麓から山道を往復するだけでも結構の”修行”になることが判り、あわてて鶴林寺の麓の道の駅に向かった。
道の駅「ひなの里勝浦」に車を止めてパンをかじった後、鶴林寺の山道を登る。よく整備された遍路道は山道とは言いがたかったが、そこそこの急登で汗をかいた。途中雨が止み次の目的地である大龍寺方面の視界が開けた。寺は結構奥深い山の中にあり今日中にたどり着けるか不安を感じた。 麓から歩くこと約1時間半、第20番札所鶴林時(かくりんじ)には13:30に到着した。鶴林寺で納経をすませ駆け足でもと来た道を引き返した。下山の途中で薄日が差し、麓の勝浦町が望むことができた。
鶴林寺から大龍寺に行くためには、一度那賀川をくだり、また那賀川の別の支流沿いに上って大龍寺の山道に取り付く必要ある。大龍寺の山道の取り付きまでの車道は狭く、雨の日の山の中は夕方のように暗い。加えて時刻は15時を回りこのままでは納経期限の17時に間に合わないというあせりもあったせいで、路上駐車のための方向転換の際うっかりバンパーを茂みの石にぶつけてしまった・・・。先週バンパーを直したばかりなのに情けない。ともかく気を取り直し大龍寺への道を急いだ。雨の中の山道には、何匹ものサワガニ?が上がっていた。
第21 番札所大龍寺(だいりゅうじ)には16時過ぎに着いた。雨の中、寺には霧が立ち込めていた。苦労して登ってきたこともあるが、鶴林寺も大龍寺もこれまでのお寺に比べて品格があり、高野山のようなたたずまいで荘厳さを感じた。大龍寺へはロープウェイが通じており、通常、車遍路の人はこれを利用して麓に下りるが、自分はもう一度車を取りに山道を戻らなければならない。17 時近くで霧も濃かったので、お寺の方に「これから引き返すの?」と驚かれたが、参道を戻り、車で大龍寺の麓にある道の駅「鷲の里」まで移動した。この道の駅はお遍路さんの宿坊も兼ねているが、自分は日帰り入浴のみにしてその日はここに車中泊した
夕食は道の駅の近くの食堂で焼肉定食を食べた。店には蔦監督のサインボールが飾ってあったので、店の亭主にうかがうと、二人の息子さんはともに池田高校にいって甲子園に出場したとのことだった。道の駅に戻るころから雨脚が激しくなったが、なんとか今日の計画をこなすことができた。
第6日目 4月8日(金)晴れ
昨夜は雨がひどく、車の中は濡れたレインウェアなどで100%近い湿度になり、朝起きると車のガラスがビショビショに結露していた。大龍寺下の道の駅には自分以外に2台が車中泊していた。一台は大阪の車で奥さんらしき人がコンロを出して朝食の準備をしていた。車移動だけでは満足感がないので、今日は海沿いの遍路道を歩く計画を立て、まず第22番札所平等寺(びょうどうじ)に車で向かった。昨日は平等寺の納経時刻17時に間に合わず、再び平等寺からの遍路となる。
平等寺には善光寺の御開帳と同じような回向柱が立っていた。寺の住職の奥さんに伺うと、昨年本堂を改修し今年1月にその落成法要をしたために、回向柱を建てているとのことだった。境内はきれいに整備されておりとてもよい印象だったので、自分の干支にちなんだ申の切絵を購入した。
平等寺から遍路道となっている細い道を車で移動し、日和佐の第23番札所薬王寺(やくおうじ)に到着した。ここで納経をしようとして遍路かばんの中を見ると財布がない。遍路グッズを整理したときに駐車場に財布を落としたようだ。あわてて駐車場まで戻ったところ、幸い車の下に落ちていたため人目につかず大事にいたらなかった。
薬王寺で納経を済ませ、車を薬王寺の駐車場に置いたまま、日和佐駅から3つ徳島よりの由岐駅にJRで移動し、海沿いの遍路道を12kmほど歩くことにした。由岐から日和佐に続く海岸は護岸工事もなくきれいだった。海外では地元の方がワカメ?をとっていた。途中の木岐浦には、安政地震の津波の高さを示す石灯籠があった。安政の大地震は嘉永7年(1854年)11月5日に発生したM8.4の大地震で、津波が房総より九州にいた る沿岸を襲ったとされている。灯篭には「波の高さ4丈余(12m)、大地震の節には油断ないようにあらかたを記しておく」旨が刻まれていた。
海岸沿いの遍路道を約3時間歩き日和佐の大浜海岸に到着した。海岸からは桜の中の薬王寺を望むことができた。休憩も兼ねて大浜にあるウミガメ博物館を見学した。大浜海岸はウミガメの産卵保護が有名で、NHKの朝の連続ドラマ「ウェルカかめの」舞台だったことをそこではじめて知った。学芸員がウミガメを洗っていた。近年産卵のために上陸するウミガメの数は減っており、これは護岸工事などが影響をしているようだ。自然保護と人間の”生活保護”の両立は難しい問題である。
日和佐でセルフうどんを食べた後、車で室戸に向かった。途中、宍喰浦の化石連痕を見た。化石連痕は3000-4000万年前の海底にできた波の模様で、海底の砂の堆積層がプレートの移動により押し上げられて陸上に現れたものであるが、その激しい褶曲の様子がよく伺えた。室戸岬ジオパーク で室戸岬の形成の説明ビデオを見た後、弘法大師が修行したといわれる御厨人窟に向かった。ここの納経所のおばさんがカナダのバッチを胸につけていたので、どうしてなのか聞いたところ、「外人のお遍路さんで気分を悪くした方がいたので、室戸の塩飴をあげたところお返しにバッチをくれた 」とのこと。おばさんはバッチがカナダの国旗であることもわかっていなかったが、言葉は通じなくても思いやりやおもてなしは万国共通に通じるものである。室戸岬の回りには弘法大師が行水した池など大師ゆかりの名跡があるが、これらは地学的には過去海岸が隆起してきた痕跡でもあり、岬の海岸線の遊歩道を1時間余り散策して岬の生い立ちを観察した。室戸岬はまた蜃気楼と同じメカニズムで見える「だるま夕日」が有名なので日の入りまで海岸で粘ったが、水平線に低い雲があり残念ながら見ることができなかった。
夕食は室津の「民宿とさ」で”きんめどんぶり”を食べた。民宿なので泊り客も食事をしていたが、兄弟と思われる二人がいて、「稼がないのに食事をするな、娘に手を出すなと」兄が説教をしていた。宮尾登美子の小説に出てくるような土佐弁で凄みがあり怖かった。店のおかみさんはお遍路さん相手の宿をやっているが、自分は無神教だからお遍路さんには興味がないとのことだった。
国道沿いの駐車場は車の行き来がうるさいが、室戸のジオパークの駐車場は終日開放されていて、広くて静かでトイレもきれいなので、その夜はここで車中泊をすることにした。
第7日目 4月9日(土) 晴れ
今日は室戸地区の三つのお寺を回る。まず室戸岬の駐車場に車をとめ、第24番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)まで歩いて登った。最御崎寺は岬の先端に建っているが、さすがにこの地にくるのはこれが最後だろうと思い、最御崎寺の名前が入ったお守りを購入した。お寺を下ったすぐ先に室戸岬の灯台があるのだが、その道しるべが目に入らず、灯台に立ち寄るのを忘れてしまったので、次の寺の津照寺から引き返して灯台を見学した。
第25番札所 津照寺(しんしょうじ)は地図上では海に隣接しているが、寺は小高い山(30m)の上にあった。津波のことを考えれば古い寺が高台を選ぶことは納得できる。津照寺(しんしょうじ)から室戸の漁港を望むことができた。遠洋漁業に出発する船であろうか?、スピーカから大きな音で歌謡曲を流しながら出航していった。
第26番札所 金剛頂寺(こんごうちょうじ)も小山の上にあるので麓から歩きたかったが、駐車できるような空き地がなくそのまま車で参拝した。金剛頂寺から次の札所の神峯寺に向かう途中、道の駅キラメッセ室戸で弁当を買い、海岸に下りて早めの昼食をすませた。弁当は390円だったが海の幸のおかずが豊富でおいしく、コストパフォーマンスが抜群でびっくりした。どうりでおばさんたちが何個も買いもとめていたわけだ。海岸からは室戸の海成段丘を望むことができた。
第27番札所 神峯寺(こうのみねじ)は室戸市と安芸市の境に位置し標高430mの山寺である。そこで車を途中の麓の空地に止めて歩くことにした。 参道は桜の花が満開で地元の人がお花見を楽しんでいた。神峯寺からの下山の途中、誤って前のめりに転倒し手のひらや肩に擦り傷ができたので、途中でドラッグストアを探し応急措置をして高知の大日寺に向かった。
第28番霊場の大日寺(だいにちじ)は珍しく参道に売店が並んでいた。一番寺で買った線香は柔らかなプラスチックケースに入っており、線香の本数が 少なくなると入れ物の中で線香が折れてしまうので、それを防ぐために売店で何かよい入れ物がないか尋ねたところ、「灯明→焼香→お札納め→賽銭→読経をスムーズにこなすために、皆それぞれ入れ物を工夫しているが、これでよければどうぞ」と硬質プラスチック製の線香ケースを勧めてくれたのでそれを購入した。店のおばさんとの雑談の中で意外だったのは、昔に比べてお遍路さんの数が減っているということ。昔は団体客がバスで乗り付けてきたが、今は個人で動く人が多くお店にとっては上がり少なく苦しいとのことだった。昨年は弘法大師生誕1200年ということで テレビでもお遍路さんの特集をやっていたし、外人客もけっこう多いので観光客は増えているのではという先入観があっただけに少々驚くととも に、改めて時代の変化を感じた。
第29番札所 国分寺(こくぶんじ)の前の田んぼはすでに田植えが終わっていた。高知は二期作の県だけにやはり暖かい。大日寺も国分寺にもお接待のコーヒーやジュースの自販機が置いてあり、そこでコーヒーをいただいて休憩していたので、第30番札所 善楽寺(ぜんらくじ)に着いたのは16:30だった。善楽寺の隣が土佐一宮の土佐神社だったので神社を拝観し、今日の遍路を終えることにした。その後、イオンのコインランドリーでこの2 日間の着替えの洗濯をし、”高知ぽかぽか温泉”という銭湯で入浴と夕食をすませ、五台山の駐車場に車中泊した。
五台山は高知市街の東に位置する標高146mの山で、山頂一帯が五台山公園として整備されている。 五台山には、明日参拝する竹林寺や牧野植物園、牧野富太郎記念館などもあり観光スポットになっているが、公園の駐車場には外灯がまったくなく真っ暗で、ときどきわけのわからぬ若者の車が来たりして安全面で不安だった。加えて夜中、蚊の音に妨害されあまり眠ることができなかった。