2016/04/10-12 高知~剣山~琴平

第8日目 4月10日(日) 晴れ

朝7:00に第31番札所 竹林寺で納経をすませる。竹林寺の庭園は鎌倉時代、高僧・夢窓国師により作庭されたと伝えられ国名勝の指定も受けている。庭は拝観しなかったが境内は苔むしてたいへん落ち着きのある寺であった。続いて車で第32番札所 禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かっ た。禅師峰寺の石段の横には海底の地層が隆起した岩が露出している。禅師峰寺より高知の桂浜方向を望むと平地の家や畑はほぼ海抜0mであり、寺の階段の地層を見ながら津波での被害を想像してしまった。続いて桂浜方面に車を走らせ、第33番札所雪蹊寺で納経を終え、ここで徳島からの”札所順”の遍路の打ち止めをした。

その日は引き続き高知観光することにして、まず桂浜に向かった。桂浜の浜辺を歩き坂本龍馬記念館を見学した。最近龍馬に関する新たな史実が見つかっているが、それを海援隊の武田鉄也が説明するDVDが面白そうだったので買い求めた。桂浜で職場向けのお土産を買い高知市に移動した。車は今日の宿泊予定のホテルに近い300円/日の駐車場に止め、高知城、寺田寅彦記念館、はりまや橋周辺を自転車で回った。

高知城は昭和23年から10年間かけて3回の大改修を行い、過去の姿を保存させている。天主からは高知市街がよく見えた。また二の丸はさくら祭りの真最中であった。
高知城の北側に寺田寅彦が4歳から18歳まで過ごした家が復元され記念館として公開されていた。寺田寅彦は明治から昭和の日本を代表する物理学者であるが、文学など自然科学以外にも造詣が深く、随筆家としても知られている。五高(熊本高校)時代に漱石と知り合い、『三四郎』の野々 宮宗八のモデルともいわれている。また門下生には中谷宇吉郎や坪井忠二などがおり、寅彦がどんなところで暮らしていたのか興味があり記念館を見学した。たいへん端整な家で、庭には大きな「かしわ」の木があり庭のシンボルになっていた。寅彦の父がお茶が好きだったようで茶室もある。 現在は記念館は市民に開放され、茶会など各種催しに使われているとのことだった。記念館の伊東さんが、寅彦の生い立ちや、奥様に次々に先立たれた苦労話などを説明してくれた。伊東さんに「土佐はたくましい偉人を多く輩出していますね」と話をすると、実は土佐の女性のほうが『はちきん』と呼ばれて強くて生活力があり「男勝り」で、その気性は土佐の男性からも脅威と思われているのだと話してくれた。山之一豊の妻は土佐人ではないが、土佐では「はちきん」の代表として挙げられているとのことだった。

寅彦記念館を見学した後、自転車で市内をぶらぶらし、高知の町並みの雰囲気を楽しみながらはりまや橋に行った。なぜここが有名なのかと思うほど橋は小さく、記念撮影をするのは、中国人、外人の観光客ばかりだった。はりまや橋近くの公園では肉フェスティバルが催されていた。また高知城から東へ約1kmにわたって露店が並ぶ日曜市も開催され賑わっていた。

この日の宿は町の中心から1.5kmほど離れたベストプライス高知を予約した。中心街から離れていることもあるが、素泊まり3000円の安さはありがたい。夕食と明日の剣山登山のための軽食を近くのスーパーで買い求め、ホテルで食事をとり、明日に備えて早目にベットに入った。


第9日目 4月11日(月)くもり

今日は 雨の確率10%以下という天気予報である。当初計画を1日早めて高知に来たのも、晴天の中で剣山に登山したかったからである。しかし予報に反し、冷たい空気が大陸から押し寄せて気温が下がり、四国の山々は冷たい強風とガスに覆われることになってしまった。

朝の段階ではそんなことは予想できす、ホテルを6:00に出発し剣山に向かった。途中ナビの情報がおかしくなり、大豊ICで下りるべきところを間違って次のICまで進んで引き返えしたため、30分ほどロスしてしまった。剣山に向かう途中で祖谷のかずら橋を見学した。朝8時前なのに通行窓口には係員がいてしっかり510円をとられた。かずらを維持するためにはこれもいた仕方がない。かずら橋から祖谷川を望むと、遍路ころがしの山道と同じ三波川変成帯の岩石になっていた。高知から徳島に入り、地層も四万十帯から三波川帯に変化していた。

剣山の麓の見ノ越までは車のすれ違いに苦労する狭い道だった。さらに見ノ越の駐車場に近づくにつれて霧が濃くなり、視界がまったくきかず、10km/h程度で慎重に運転せざるをえず、9時過ぎにようやく登山口に到着した。ガスも風もひどいので晴れるまで車の中で寝ることに決め仮眠した。11時半ごろようやく麓のガスが晴れたので、簡単な昼食をとり剣山に出発した。しかし山頂に近づくにつれてガスは濃くなり、木々には霧氷がついていた。風速20-30mくらいはあるだろうと思われる強風の中、山頂に向かったが山頂の表示板も霧氷で凍り視界も悪い。頂上の山小屋の影で風をよけながらガスが晴れるのを20分ほど待ったところ、ようやく山容を望むことができた。剣山は名前のイメージとは異なり山頂は平らで、また夏山シーズンは8合目くらいまでリフトで登れるので、家族登山を楽しむことができそうな柔らかな山である。しかし高さ1955m程度の山とはいえ、今回のように冬山に近い天候の中の登山は、なかなか侮れない山だと思った。

剣山を降りるころには日がさし始めて天候が回復した。こんなことなら田中陽希君お勧めのひばり食堂でカツどんを食べ、午後から登山にしてもよかったと思いながら、麓の剣神社を参拝し三好市まで下ることにした。

祖谷の急斜面には民家が点在し、その光景は遠山の下栗とよく似ていた。途中、道路の全面工事に出くわし1時間の通行止めがあったので、その時間を利用して祖谷のそばを食べるとともに、祖谷民族資料館を見学した。資料館の陳列品の多くは、かつて飯田の実家で農作業に使っていたものだったので 余り珍しくはなかった。館内は私ひとりだったので資料館を管理している方が詳しく案内をしてくれた。彼女も祖谷地方で生まれて育ち、こちらに嫁いできたとのこと。彼女の説明によれば、祖谷の民家は急斜面にあるので、民家の行き来は尾根づたいに移動するのが合理的なのだそうだ。なるほど自動車の便を考えると下まで降りなければならないが、歩くならわざわざ下る必要はない。祖谷は米がとれないので、かつては蕎麦やひえ・あわが主食だったそうである。今はようやく道も拡幅されたが、それまでは車同士のすれ違いができず難儀したとのこと。彼女の二人のご子息はすでに学校を卒業されたが、この地を離れているようだ。伝統を守るといってもやはり生活できなければ地元に残ることはむずかしい。

祖谷から下ること1時間、ようやく大歩危峡に到着し峡谷の風景を眺めた後、今夜は高松道の吉野川SAで食事と車中泊をすべく車を走らせた。


第10日目 4月12日(日)四国最終日 晴れ

吉野川SAの朝は1℃くらいまで冷え込んだようで、これまで暖かいところでの車中泊だったのでさすがに寒かった。朝6時にSAを出発して弘法大師生誕の地の善通寺市に向かった。善通寺の周り半径10km内には6つの霊場があるが、今日はそのうちの4つを回ることにした。まず第74番札所 甲山寺(こうやまじ)の駐車場に車を停め、第72番札所 曼荼羅寺(まんだらじ)、第73番札所 出釈迦寺(しゅっしゃかじ)、そして四国八十八ヶ所の総本山である善通寺を自転車で回った。天気は快晴に近かったが風が冷たかった。第73番札所 出釈迦寺からは瀬戸内海方面が望めた。善通寺市の北に位置する緩やかな山並みも青空に映えてきれいだった。この山並みは五岳山と呼ばれ、古くから歴史と信仰の山として知られており、第75番札所 善通寺は五岳山善通寺という山号がついている。善通寺は真言宗善通寺派の総本山だけに境内は広く貫禄があった。弘法大師生誕の地である善通寺のお守りを購入した。

善通寺から甲山寺にもどって車に乗り換え、カメラのキタムラに寄って転倒の際故障したカメラを修理し、琴平の金比羅さんに向かった。金比羅宮に登る参道の両脇には土産屋がたくさん並んでいるが、お土産を買う人は少ない。観光客の半分近くは中国人と外人で、外人は土産を眺めるだけで買わないと店の方が嘆いていた。

麓から本宮までは785段の石段が続き、上りきると海抜250mの高台に到着する。金比羅の本宮は大物主神と崇徳天皇が祀られており、本宮の高台からは讃岐平野と讃岐富士を望むことができた。金比羅さんは海上交通の守り神としても信仰されているので船にかかわる奉納が多く、今治造船株式会社が大きなスクリューを奉納していた。本宮の神札授与所では「幸福の黄色いお守り」を売っていた。参道のみやげやの方の話では、ここ10年くらいの間に「パワーが出る」という黄色が金比羅カラーになったそうで、その結果お土産の色も黄色のものが増えてきたとのこと。そこで”パワー と幸福”を招く黄色の招き猫を買って家の土産とした。金比羅宮を参拝後、琴平温泉の琴参閣で日帰り入浴した。入浴料はバスタオル付きで900円と少々高かったが、湯船は広くてきれいでサウナなどの設備も充実しており、足の疲れを取ることができた。

入浴の後、満濃池に向かった。讃岐平野はため池が多いが満濃池は日本最大の灌漑用のため池であり、空海が改修したことでも知られている。周囲約20km、貯水量1,540万tとのことだが、ため池というよりダム湖のような感じがした。

 

次に満濃池から四国遍路の最後の寺、屋島寺に向かった。第84霊場 屋島寺(やしまじ)は屋島の山頂にある。屋島は高松市の東、標高293メート ルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟としても知られている。屋島寺で納経を済ませ境内を回っていると、売店に香川県特産のオリーブ油が置いてあった。「オリーブ油は国内産だけでは消費をまかなえないので、スペインなどから輸入してブレンドしているが、この商品は香川県多度津の純粋オリーブです」と店のおばさんが愛想よく勧める。真野さんの奥さんが紹介してくれた小豆島のオリーブも置いてあったが、「これも有名でいいけれど、多度津のオリーブが絶対お勧め」というおばさんの言葉を信じ、多度津のオリーブ 油を買い求めることにした。そのあと屋島を散策をした。屋島からは高松方面や小豆島、屋島の溶岩台地がよく望めた。
時刻はすでに18時を過ぎ、瀬戸内海に日が沈もうとしていたので、家にこれから帰途につく旨の連絡をいれ、さぬきのスーパーで讃岐うどんを買い帰路についた。途中淡路のSAで淡路産の玉ねぎカレーを食べ、10日間の四国の旅を終えた。

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