2月19日(木)
朝、宿を8時に出て修学院離宮に向かった。修学院駅の近くのコインパーキングに車をとめ、15分くらい東山方面に上っていくと修学院離宮に到着した。
■修学院離宮
修学院離宮は、後水尾上皇によって造営され、東京ドーム11個分に相当する約54万平方メートルの敷地に、上離宮・中離宮・下離宮からなる3つの庭園で構成されている。当初は上と下の二つからなる離宮だったが、上皇の第八皇女光子内親王(朱宮・あけのみや)のために中離宮が拡張された。
▼寿月観の庭:今冬は雨が少なく、庭園に流れ込む水が枯れ気味とのこと。
⑤離宮をつなぐ道
かつてはあぜ道だったが、明治時代、天皇が馬車で移動するために道を拡幅し両側には松を植えたとのこと。
▼離宮内にある田畑は、地元の農家の人が管理を委託されている。
③中離宮 楽只軒(らくしけん)
④中離宮の客殿
奥にある違い棚は霞棚。桂離宮の桂棚、三宝院の醍醐棚とともに天下の三棚と称されている。
▼狩野永敬の四季絵と、畳縁の杉戸の大鯉の絵
伝承によるとこの魚たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、漁網を描き加えたという。
▼庭園整備 ~上離宮への道で
女性の方が大原女のような作業着で庭園を手入れしていた。手入れは宮内庁の専属職員ではなく、地元の庭師の方に発注しているとのこと。
⑦上離宮の隣雲亭
▼離宮内の浴龍池を臨む 臨浴龍池では船遊びを楽しむことができる。
▼隣雲亭から京都方面を臨む
⑪窮邃亭
⑨千歳橋
▼幅5mほどある生垣。高さもかなり高い。庭師が生垣の中に入り大鎌で刈り込むとのこと。
拝観時間:1時間15分
修学院離宮は、桂離宮のような緻密で考え尽くされた設計ではない。元々、上と下の離宮のみ造営され、それに中離宮が付け加えられたので、それぞれ独立的である。この離宮の良さは、田園の雄大な景色を楽しむことにあるように思う。庭内を散策するだけ3kmの距離があり、四季折々を場所を変えて味わうことができるように感じた。
■醍醐寺 真言宗醍醐派総本山
修学院離宮見学後、最後に醍醐寺を訪れた。醍醐寺は年間を通じて参拝客が多いが、新型コロナウィルスのせいか拝観者はまばらで、三法院のお庭をゆっくり眺めることができた。
▼唐門(国宝)
門跡寺院としての三宝院にあり、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる(勅使門)
▼三法院
▼秋草の間の中庭
▼醍醐寺伽藍の杉林
受付のおばさんの話:
2018年の台風21号の強風で杉の木が軒並み倒木した。楠木のように根が深い樹木は残ったが・・・。その結果、夏は暑く、冬は風が通ってたいへん寒くなってしまった。樹のありがたさを改めて知ったとのこと。
▼金堂 五大力さんのおかげ餅
おかげ餅に触れると一年間無病息災でいられるといわれている。
▼弁天堂
▼弁天堂の池に流れ込む水路。隣の川から引き込んでいる。
▼やよいさん、帰依三法 仏門に帰依する!?
▼醍醐寺レストランのソフトクリーム。菊の御紋のマカロン付き
醍醐寺見学の後、飯田への帰路についた。
幸いこの三日間は天気にも恵まれ、名勝といわれる庭園を堪能することができた。同時に日本人でありながら、仏やお庭・寺院建築に関する知識がないということを改めて感じた。それにしても世界の人々を引き付ける古都の文化や技術の多くが、奈良時代以前に創出されたことに驚く。7世紀以前、東洋において産業革命的なターニングポイントがあったのだろうか? 東洋史を少しかじってみようと思った。