5/27は富士見高原病院に術前検査に行かなければならなかったので、翌日5/28、富士見から足を伸ばし、これまで訪れたことのない軽井沢・鬼押し出しに行ってみることにした。
今週初めに新型コロナの緊急事態宣言・自粛要請は解除されたものの、国内はどの施設も5月いっぱいは自主規制をしていることが多く、鬼押し出し・浅間園も休園であった。
それでも浅間山麓にある嬬恋村の鎌原観音堂や郷土資料館は開館しており、天明の浅間山の大噴火の様子をうかがい知ることができた。
▼鎌原観音堂
1783年(天明3年)8月5日(旧暦7月8日)、浅間山が大噴火した。麓にある鎌原村は噴火による土石流に襲われ、570名のうち477人が亡くなり石段の上にある観音堂へ避難した93人だけが助かったと伝えられている。
1979年の発掘調査で観音堂の石段は50段あり、上から15段を残して5-6mの土石に埋もれたことが分かった。また埋没した石段から女性2名の遺体が発見された。
墓標には天明3年7月8日の文字が刻まれている。
▼郷土資料館から鎌原地区を望む。前の山は噴火時に形成された流山
▼美智子皇后さま(当時)の歌
当時大学生の皇太子が発掘作業に参加した時の様子を詠ったもの
▼鬼押し出し
臨時休園中のため外から眺める
▼鬼押し出しハイウェイ浅間六里ヶ原より、鬼押し出し方向を望む
▼軽井沢 見晴台からの眺め
中山道の旧碓氷峠見晴台。群馬側の松井田町、妙義山、八ヶ岳等が一望でき、碓氷峠は群馬川に急峻な「片峠」であることがわかる。