四国遍路パート2 第3日目(2月22日)

■お遍路第3日目(2月22日) 晴れ時々曇り

土佐久礼を7時半に出発。今日は七子峠(標高287m)を越えて、四万十町窪川にある37番の岩本寺に向かう。峠越えには「そえみみず遍路道」と「大坂遍路道」の2つのルートがある。そえみみず遍路道は漢字で「添蚯蚓」と書き、道がミミズのように曲がりくねっていることから、そう名付けられたとのこと。山の尾根を通るルートのため標高400m地点まで登らねばならない。もう一つの大坂遍路道は七子峠に直接登っていくためエネルギーが節約できる。そこで大坂遍路道を使って岩本寺に向かった。

▼土佐久礼から大坂川沿いに登っていくと、高知自動車道の高架橋が見えた。橋梁に近づくとすぐ隣に家が建っていた。昔からこの地に住んでいるのだろうが、工事の補償金をもらって、もっと閑静なところに引っ越せなかったのかと他人事ながら不思議に思った。

▼大坂遍路道
宿から1時間半余りで七子峠に到着。峠からは今登ってきた遍路道と土佐湾を望むことができた。

▼窪川町に向かう途中、お年寄りのお遍路集団に出会った。どこから来たのか聞くと「逆打ちで遍路をしている」とのこと。 皆さん白装束で本当に巡礼をしていると言う感じだった。同じお遍路さんなのにお接待で羊羹をいただいた。(※中島さんによると、鯖大師の方ではないかとのこと)

▼四万十町影野駅近くでは、大きな石碑が立っていたので何が書いてあるのかと覗き込むと、なんと長野県の吉村元県知事の書だ。この地とどんな関係があるの後で調べてみると、長野に本部のある座禅専門道場活禅寺の支部ようだ。なぜこの片田舎に長野県と関係のある禅寺があるのかわからないが世間は狭い。

▼さらに、しばらく行くと昨夜同じ大谷旅館で一緒だったお遍路の方に追いついた。千葉の浦安から来た方で、2月18日に高知で開かれた龍馬マラソンに参加し、その足で松山までお遍路道を回るとのことで、私の計画とほぼ同じだった。私同様、「この時期はお遍路さんが少ないので旅館は空いているだろうと予約を入れなかったら、泊まりたい宿に泊まれない」とぼやいていた。

▼岩本寺にはお昼に到着。納経所の方に、このあたりのお勧めの食事処を訪ねると近くの蕎麦屋を紹介してくれた。蕎麦屋に入ると昭和40~50年代の懐かしい歌謡曲やフォークソングが流れている。聞けばご主人はフォークソングお宅で、中古で出回っている当時のレコードを買い集めデジタル化しているそうだ。歌謡曲とそばは合わない感じだったが、注文したおろしそばはうまかった。
  

▼岩本寺から峰の上(標高280m)を越えて、今日の宿、「土佐佐賀温泉こぶしのさと」には15:15に到着した。フロントの従業員はよく教育されていて応対が心地よい。部屋もトイレ付、大浴場も広くて気持ちが良い。一息ついてから昨日できなかった着替えの洗濯をした。フロントで話を聞くと、この先の土佐中村の近くにある「ネストウェストガーデン土佐」はこのホテルと提携しているので、そこに泊まるのであれば、荷物をホテルまで運んでくれるとのこと。さっそくネストウェストガーデンを予約して、お遍路バックなど、明日必要としない荷物を運んでもらうことにした。

▼夜は道中で追い越したお遍路さん(中島さん)と一緒に食事をした。話を伺うとお母様が長野県の中川村の出身で時々実家に来るとのこと。すでにお母様はなくなり、実家の跡取りは飯田の伊賀良や長野の方に出ているので実家をどうするか困っているとのことだった。偶然とはいえ、下伊那とつながりがある人に出会うとは、やはり世間は狭い。

会話の中で遍路道の地図の話題になり、「へんろみち保存協会の地図は方位や縮尺がバラバラで判りにくい」と話すと、彼も全く同感で、外国人向けに編集されたこちらの本のほうがコンパクトで、地図もいつも北が上で判りやすいと紹介してくれた。

  

明日は荷物も軽いので出発時間を8時ごろの計画にし、目覚ましをセットして床に就いた。

▼今日の歩行ルート 土佐久礼~土佐佐賀温泉こぶしのさと 32㎞ 

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