■お遍路第6日目(2月25日) くもり後雨
四国に来てからずっと天候に恵まれていたが今日は雨になった。通常のお遍路は昨日来た道を打ち戻るが、足摺岬周辺の地学散歩をしたかったので、土佐清水市経由で宿に向かう予定にしていた。しかし午後から雨が強くなる予報だったので地学散歩はとりやめ土佐清水に向かった。朝、民宿を出てしばらく歩くと、一昨日、宿で夕食を一緒にした千葉の中島さんに出会った。やはり駅伝のために宿がとれずに、仕方なくパシフィックホテルに泊まったが、すべてが高くてびっくりしたとのことだった。彼は土佐清水から海岸線伝いに宿毛に向かうとのことだったので、土佐清水まで一緒に歩くことにした。
▼途中、中の浜でジョン万次郎の生家を見た。ジョン万次郎の生涯については、下記URL資料に譲るが、彼、中浜万次郎は、文政10年(1827年)1月1日に高知県土佐清水市中浜で貧しい漁師の次男として生まれ、天保12年(1841年)、14歳の時に漁に出て遭難。太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着し143日後、仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号によって助けられる。万次郎を気に入っていたホイットフィールド船長は万次郎を養子とし、そこで彼は英語・数学・測量・航海術・造船技術など学ぶ。卒業後、金鉱で得た資金で船を購入し、日本に向けて出航。当時の日本は鎖国政策の中にあり、帰国から約2年後にようやく土佐への帰国となった。その後万次郎は幕府に招聘され翻訳や通訳、造船指揮に励み、万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書交換のために幕府が派遣した海外使節団の一人として、咸臨丸に乗り込むこととなる。
▼万次郎の生家を見ているころから雨が降りだしたので、雨具を身に着け土佐清水に向かい、11時ごろ土佐清水に到着した。ここで中島さんと別れた後、雨宿りを兼ねて土産屋に立ち寄った。店には土佐のカツオの加工品などがあったので土産を買い求め、この6日間で必要としなかった衣類と一緒に宅配便で富士見に送ることにした。不要な着替え約800gが減るだけでも肩が軽い感じだ。
▼土産屋を出た頃から雨が強くなってきたので、近くのスーパーで弁当を買って昼食休憩をとり、靴に水が入らないように注意しながら、今日の宿、「民宿いさりび」に向かった。道路沿いの町は海抜数mなので、ところどころに津波の避難塔が建っている。雨が強いのでしばらくその下で雨宿りをしながら、午後2時ごろ「民宿いさりび」に到着した。
▼宿のチェックイン時間は15時だが、雨で早く着いたことを詫び宿に入れてもらった。
宿には私の他にもう1人のお遍路さん(小林さん)が泊まっていた。今回で5回目のお遍路だそうで、実家は和田村(和田峠の下)で岡谷に檀家寺があるとのことだった。一昨日の中島さんも中川村が母方の実家であり、なぜか長野県と関係のある人々に出会う旅である。
今日の夕食にも土佐清水市の鯖の刺身がでた。ネットの口コミの通り料理は美味かったが、女将は愛想らしいことは何も言わず態度が横柄で驚いた。ご主人はねっからの漁師で、宿に貼ってあるウミガメの写真について質問すると、「近くの大岐海岸にはウミガメが産卵に来て、たまたま産卵の写真を撮ることができた」と話をしてくれた。
民宿いさりびからは朝日がきれいに見えるという評判だったが、雨は朝まで降り続き、水平線から上る朝日が見られず残念だった。
▼今日の歩行ルート 民宿足摺ハット~民宿いさりび 23㎞